バス停「鎌研」を鎌研坂の始点と見たのが誤りであった。バス停が鎌研坂の終わりなのである。よって車を石碑の横に停め、バス停から鎌研坂を下る。踏み損くないそうな角石がごろごろし、脇に小川の流れるこの場所こそ、鎌研坂の風情である。しばらく行くと案外早く鎌研坂の始点へとでた。よって戻り上りながら、所々の角石に腰を降ろし、朗読する。二回目とあって読み慣れたものである。確かに文章は読み慣れた。しかし小川のせせらぎや風に揺れる梢を人の気配かと気もそぞろである。石碑の脇に停めた車も気になって仕方がない。非人情の天地に逍遥するのはやはり容易ではないらしい。
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「おい」と声をかける間もなく、人の良さそうな婆さんが現れた。前回、復元された「峠の茶屋」に来た時は全くの無人だったので、ここで第二章を朗読するつもりが、当てが外れた。この茶屋の女主人は、活人画の風物ではなく、熊本人らしく客人を歓待するのに喜びを感じる体の婆さんにしか見えない。近所から集めたという古びた道具がそこいらに置かれたり壁に掛けられたりしているが、生憎鶏の夫婦はいない。
茶屋の婆さんはひとしきりこの先にある石畳の道を勧める。なんでも漱石の頃のままで、すこぶる風情があるとのことである。婆さんはそこで撮ったマタヨシなる人物のポスターについて説明したり、自分が撮ってきた写真を何十枚も見せたり・・・やつとの思いでこゝ迄来たものを、さう無暗に俗界に引きずり下されてはと、礼を言って立ち上がった。
そこから茶屋の跡地はそこそこ距離があり、ここで朗読しても婆さんには聞こえまい。第二章を朗読し、婆さんの勧める石畳へと向かう。
婆さんは石畳の入り口に余裕があるからそこに車を停めるが良いと写真まで見せて説明してくれたが、とても熊本人以外には駐車できるようなところではない。方向転換もままならずなんとか引き返し、脇道の横に車を停め、少し戻って石畳の道へと入った。
二〇分ほどの道程で、ちょうど真ん中に道標があると、これも写真まで出して婆さんに説明されていたが、行けども行けどもその道標へ到達しない。そのうち辺りは蜜柑畑となる。人影は見えぬが、風に乗って聞こえてきた人声はラジオのようだ。空山不見人、但聞人語響、返景入深林、復照⾭苔上。しかしこの道が正しければ、婆さんが言うほど風情はない。例によって道を間違えたかと気が気でなく、道の踏破はおろか道標も諦め、どこで間違えたかと訝りながら道を下ることとなった。
四月二八日