五か月ぶりに草枕プロジェクトの再開となる。まだ秋の気配とはいかないが、さすがに鶯の声は聞かれない。草枕の宿にも五か月ぶりということになるが、何も変わらぬひっそりとしたその佇まいに、何かほんのいっときの不在であったかのような感を抱く。
第四章はこう始まる。
ぽかんと部屋へ帰ると、成程綺麗に掃除がしてある。一寸気がゝりだから、念の為め戸棚をあけて見る。
実はかくいう筆者も、真っ先に戸棚を開けた口である。『草枕』の読者であれば、なおさら開けずにはおれまい。この一節を今回読み返すと、不思議の感に打たれた。何が「気がゝり」で、「念の為め」戸棚を開ける必要があるのだろう。「念の為め」というからには、何か良からぬものが入っているという懸念があったのであろうが、悪霊を封じ込める厄除の札でも入っていぬか心配だったのだろうか。そのような前近代的な迷信を漱石が気にかけるとはにわかには信じがたいが、用箪笥の中に伊勢物語の一巻を見つけて「昨夕のうつゝは事実かも知れないと思つた」と書くくらいであるから、満更迷信を信じぬでもあるまい。もっともこう「思つた」のは漱石ではなく『草枕』の主人公であるが。
以前すでに開けたとはいえ、一寸気がゝりだから、再び念の為め戸棚を開けて見る。そこに乱雑に放り込まれていたものは、前回と変わらず伊勢物語とは程遠い、埃をかぶった虫除けリキッド二ケ、虫除けスプレー一ケそして半透明のビニール袋が無造作に詰められた袋であった。非人情の天地に逍遥するとは、草枕の宿を持ってしてもなかなか難しいことである。
朗読を再開するが、程なくして一匹の蚊の微かな羽音らしきものが、時折聞こえてくる。朗読中であるゆえあからさまに視線をそちらへやるわけにはいかぬため、音の近辺を手で払いつつ、蚊が視界に入った途端ぱちんとやった。そして朗読を中断し叩いた先を見るが、蚊の痕跡らしきものはどこにもない。あるいは気のせいだったかと朗読を始めるが、また程なくして微かな羽音が顔付近から聞こえ、朗読を止めずに手で払う。『草枕』の画家先生は
「蚤も蚊もない国へ行つたら、いゝでせう」
と言い、
「御望みなら、出して上げませう」と例の写生帖をとつて、女が馬へ乗つて、山桜を見ている心持ち——無論咄嗟の筆使ひだから、画にはならない。只心持ち丈をさら〻と書
くが、「只心持ち丈を」書くとはどういうことか。『不思議の国のアリス』でチェシャー猫がだんだん消えていき、最後にニヤニヤだけが残ったという、あのナンセンスの向こうを張ったものだろうか。
そうこう考えていると、手の甲がむやみに痒い。気づかぬうちに、先ほどの蚊に馳走を提供したらしい。もう片方の手は本を持っているので手が掻けない。痒い手の甲をズボンに擦りつけながらの朗読で、気もそぞろである。やはり非人情の天地に逍遥するのは、なかなか容易ではないらしい。
一〇月二三日