山路を登りながら、かう読んだ。
知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
……となる筈であった。
草枕プロジェクト。『草枕』の舞台となっている場所に行き、そこで一章ずつ朗読する、という物好きな企画である。「プロジェクト」と銘打ってはいるが、一人でひっそりと企てているだけの企画であり、特に同好の士を募ろうという計画もない。この企画は漱石全集が新しく出て、第三巻を読んでいる時にふと思いたったものだから、三月のいつ時にかに心に浮かんだものであろう。しかし天候や自身の体調に図らずも左右され、四月の二〇日になってやっと実現へとこぎつけたという次第である。そして今日、山路を登りながら、かう読む筈であった。
確かに読んだのである。しかし書中の記述とは異なり、坂道のない平坦な道が続くのに訝しい感を抱きながらであった。出発前に「鎌研坂」の場所を調べたが、グーグルマップをしてもヒットするような場所ではなく、ネット上の情報を探しても正確な場所は判明せず、いつもながらの行き当たりばったりの旅となった。
「峠の茶屋」に向かっていくと、その手前と思しき箇所に巨大な石碑が立ち、漱石の
木瓜咲くや漱石拙をまもるべく
の句が彫られている。しかし木瓜の木も見当たらず、この句がここで読まれたのか判然としない。秀逸な句というわけではないが、拙を守りて熊本に住み着くこととなった我が身の上を重ね合わせ共感を呼ぶ句である。今年は庭にささやかな木瓜が咲いた。臙脂が鮮やかで、とても拙を悟っているようには見えなかった。
その石碑から横に細い道がのび、峠の茶屋へと通じていた。しかもそこのバス停に「鎌研」とある。「鎌研坂」とはここに違いない。鶯や雲雀の囀りと呼ぶには大きい嚶鳴の中、第一章を朗読したのであった。
石碑から峠の茶屋へと通じる、何の上り坂もない小道は、茶屋のそばに掲げられた地図などを見る限り、やはり鎌研坂と信ずるには根拠がすこぶる薄弱である。この道もおそらく草枕の行程ではあったかもしれない。しかしやっと実現できたかに見えたこのプロジェクトは、第一回の企図を遂行できず、やり直しという非人情ならぬ非情な結末とあいなったのであった。
二〇一七年四月二〇日